【I-011】詰所への潜入

 通信室から戻ったヴィクトールは、先程到着したばかりの、この仮の拠点と定めた建物の内部を改めて隅々まで見渡した。

 試作段階の画像投影装置……これが大王の言っていた最先端の機械だろうか。その他にも、電気仕掛けの拷問道具のようなものが雑多に置かれている。

 「随分と高度な文明だな。でもひどく悪趣味だ。うちの技術兵団には学ばせたくない」

 「ポーレジオン王が機械と拷問を嗜んでいるというのは、本当の話のようだな……」

 アルベールも整った眉を顰めながら呟いた。

 「悪い領主様は、正義の味方が懲らしめてやらないとな。俺もちゃんと順番を考えてるだろ?」

 ヴィクトールは新たないたずらを思いついた子供のように、くすりと笑う。アルベールは既にそれが約束事のように、呆れた表情を返した。

 ……あの初遠征の日に、紅蓮の皇帝は早速定めた次の標的……このポーレジオンへ上陸するとの宣言を、帰路の船上から全世界に発信した。ちなみにエクラヴワ大王は、あの最初の通信以降、一切表舞台に姿を現していない。

 ポーレジオンへと向かう飛空船に乗り込んでから予測通りの数日で到着し、この街のとある兵士詰所に極秘裏に潜入、拠点とすべく占拠していた。もちろん、元々ここにいた兵士たちから真実が漏れては困るので、彼らは残らず捕らえ、一部屋に監禁している。代わりに配置した帝国騎士たちには、ポーレジオン防備兵の地味な軍服を着せていた。

 宣告の日より数日ほど前もってこのような準備を始めたのは……やはりポーレジオンという国を、事が始まる前にある程度、皇帝自ら把握しておく事が目的だ。

 アルベールが小さな窓から外の様子を伺うと、ふと目に入ったのは先ほどの通信を聞いて家路を急ぐ、海の国ならではの大胆な格好をした女性たちだった。……長身で金髪碧眼の凛々しい容姿に、家柄も実力も申し分ない騎士兵団元帥は女性たちから絶大な人気を誇るのだが、真面目な彼の方はそのような話題が極端に苦手なのだ。慌てて窓から顔を逸らし、彼は主君に尋ねる。

 「こ……ここで、最終的にはエクラヴワ大王が剣を引き渡すまで待機するのか?」

 「まさか、こんな狭苦しい場所で、そこまで待っていられるか。ポーレジオン国王が降伏の意を示すのを待つだけさ」

 ヴィクトールは対照的に、それまでの退屈そうな表情を一変させ、アルベールを窓際から押しのけて、嬉しそうに彼女たちの後ろ姿を目で追いながら答えた。

 「大王はどうせ剣を渡す気なんか、初めから無いんだからな。とはいえ、マリプレーシュの時のように期限が二十四時間じゃ、準備もできず可哀想だ。だから三日間に延ばす事にしたんだ、我慢強くなったろ?」

 アルベールは再び呆れたように溜息をつく。

 「油断するな。……ディアーヌは昨日こちらへ到着して早速、嬉々として出かけていったし……」

 またアルベールがそんな話を持ち出すので、ヴィクトールは彼を一睨みしつつ、溜息まじりに続けた。

 「お前のところの優秀な副帥が付き添っているから大丈夫なんだろ。自分でそう言ったくせに……まあ、彼女の気晴らしが情報収集にも役立つなら、一石二鳥だ」

 「それは確かにそうだが……」

 「それに、民衆の反感を煽るようなことは極力避けなければな。用があるのは市民を苦しめる、悪い悪い王様だ」

 ヴィクトールは街の向こうに小さく見えるポーレジオン城を眺めながら、独特の冷笑を浮かべた。……と、そこで扉が開き、ポーレジオン兵の格好をした伝令の騎士が姿を現す。

 「ご報告申し上げます。ディアーヌ様がただ今お戻りになられましたが……こちらでの軍議に、どうしてもご出席なさりたいとのことで……」

 困惑する伝令の表情を見て、皇帝と側近は顔を見合わせた。しばらくしてから先に首を横に振ったのはアルベールの方である。

 「……街にお出になられるのも特例だったのだ。軍事会議までに出席なさる必要はないとお伝えするように……」

 「アル、お前が色々見せてやりたいと言って連れてきたんだ。俺たちのやっていることを理解できなければ、彼女だって納得して帰らないだろ」

 ヴィクトールの言葉に腕を組んで複雑な表情を浮かべたアルベールは、しばらく逡巡した後、仕方なく伝令に許可を出した。

 シーマは、その豊富な知識と鋭い勘から、先ほどの大層な取り巻きを連れた女性に強い疑念を抱いたようだった。エマとリュックを連れていることで行動に制限があったため、一度はその姿を見失ってしまったものの……王城からの距離や建物の規模などから目星をつけ、夕暮れ時にはついに帝国軍の拠点と思しき建物を特定することに成功した。……緊張の連続に翻弄され続けたオリヴィエ姉弟、特にリュックの体力と精神力は限界に達し、すっかり疲れ果ててしまっていたのだが。

 この、もともとは兵士詰所であったらしき小さな建物は、予想していたほど物々しい雰囲気はなかった。しかし、ポーレジオン兵たちは掃除が苦手だったのか……換気口とも思える地下通路は、ほとんど人の出入りがなかったのだろう、埃が積もっており、ここを通る三人の服は瞬く間に汚れてしまった。だが、表にポーレジオン兵に扮した帝国兵の目を盗んでここへ侵入するには、商店街の裏手から伸びるこの道を通るしか選択肢がなかったのだ。

 “剣”に対する執念で動くシーマに引けを取らず続くエマ……押し切られるようについてきてしまったリュックの顔は、恐怖で泣き出しそうになっている。ひとりでも何とか宿を取って待機していれば良かったと、心の底から後悔の念にかられていた。

 「さっきの女の話、どうやら真実のようだな」

 シーマは通気道の、ごく小さな隙間から垣間見える様々な拷問器具を目にし、そう呟いた。

 「暴君が治める国から攻めて、民衆の反発を最小限に抑えるつもりか。……なるほどな」

 シーマ以外の二人にとって、そのような考察はもはや些末な問題だった。埃に咳き込むことも我慢しなければならない、蜘蛛の巣だらけの、中腰でやっと前進できるほどの狭い空間から、一刻も早く解放されたいと願っていた。

 「レオナールって人は、私達がこんな苦労してるなんて、思ってもいないでしょうね……」

 言い終えるや否や、エマは横を素早く通り抜けていく小さな黒光りする生物に気づき、思わず悲鳴を上げそうになる。ごく普通の少女だった彼女にとって、このような経験は耐え難いものだったが、自ら志願した以上、耐えるしかなかった。

 シーマが突如、緊張した面持ちで立ち止まる。後方からついて来たエマたちは、暗くてで前方が見えづらいこともあり、勢いよく彼にぶつかってしまった。

 「何よ、突然……」

 「しっ。……見てみろ」

 開口部から部屋の内部を覗くと、目の前にはポーレジオン兵……の鎧を着込んだ帝国兵の背しか見えなかった。だが、彼が二、三歩位置を変えた途端……エマとリュックは、言葉を失う。

 そこには、数人の人物が小さな木製の机を囲み、何かを話し合っている様子があった。

 真っ先に目を奪われたのはひとりの人物。明らかに他の者よりも高貴な身分にある事を表す、絹織物と宝石を幾重にも飾ったローブに身を包んでいる。神々しいまでの美貌、緋色の髪……『炎』その人であった。

 マリプレーシュの恐怖が蘇ると同時に……エマはもうひとり、そこに意外な人物を見つけ、驚愕した。……皇帝の隣で、地図のようなものを指し示しながら、彼に何か話し掛けている女性。

 「あの人……彼女、さっきの……!」

 彼らを助け、食事を提供してくれたあの美しい女性だった。長いブルネットの巻き毛も、その服装も紛れも無く彼女のものだ。

 「そんな……じゃあ彼女、わざと僕らに近づいたの……?」

 リュックが悲しげに首を振る。

 会議が終了したようだ。机を囲んでいた一同は皇帝に敬礼をすると、散り散りになる。例の女性も笑顔で皇帝に何か一言かけたような素振りを見せると、奥へと姿を消した。

 「ずいぶんと皇帝と親しげだな……少なくとも、単なる配下の軍人とは違うようだが」

 シーマは衝撃的な表情を浮かべる姉弟とは対照的に、淡々とした口調で分析する。そうした囁き声も、緩慢な動きも、彼は見張りの帝国兵らに気付かれないよう、入念に計算し尽くした結果であった……はずだ。

 唐突に、小さな建物内すべてに響き渡るほどの、よく通る声が響いた。

 「私がここへ到着する前に、しっかりと掃除をしておかなかったのか?」

 グランフェルテの兵士や召使いたちは、主君の声に焦燥した。確かに、彼がここに到着する一刻前までには、汚れ果てたこの建物の隅々まで磨き上げておいたはずだ……目の届かなかった通気道を除いては。

 「建物の内部構造図を入念に確認しておけと言っただろう。……鼠が紛れ込んでいるぞ!」

 それが自分たちを指しているのだと、シーマたちが悟ったのは……ちょうど頭上にあったらしい石の蓋が、突然、音を立てて開かれた時だった。

 三人は『炎』の前に突き出された。

 一度はその姿を目にした経験があるとはいえ、これほど至近距離で……燃えるような色の瞳に見透かされるのは、もちろん初めての経験だった。

 「グランフェルテ、七世……」

 シーマの口から、思わずその言葉が零れ落ちた。

 「いかにも。覚えていただいて光栄だ。……それにしても一体、何のつもりだろうな?」

 紅蓮の貴公子は三人の埃まみれの服に一瞥をくれ、哀れな者にでも話しかけるかのような口調でこう言い放った。

 「何者か知らないが、そんな狭苦しい場所にわざわざ忍び込んで。餌でも見つかると思ったのか?」

 「陛下、どのようにいたしましょう?」

 三人を取り押さえていた騎士のひとりが尋ねる。途中でも本題に入らなければ、この場で本題に入らなければ、自分の役目は果たせない。二十歳の若き君主が戯れ事を好むのは、この騎士も痛いほど理解していた。

 「そうだな……」

 皇帝は、部屋の中を一回りするように見渡す。拷問用の獣を捕らえておくための檻が置かれているのを見て、くすりと少年のような笑みを浮かべた。

 「退屈しのぎにちょうどいい。その中にでも放り込んでおけ」

 鮮烈な姿が三人に背を向けると同時に、彼らを捕らえていた帝国兵たちは、再び容赦なくその身を引きずり始めた。

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