こちらが来訪を告げる一発の空砲を放っただけだというのに、地上からは無数の砲撃が返ってきた。最初から容赦なく撃ち落とそうとする敵の意思は明白だ。
「おお、噂通りだな。随分と威勢がいいぞ」
ヴィクトールは船窓からその様子を確認し、まるで珍しい生き物でも発見した少年のように、嬉しそうにそう言った。
「あれだけやる気を見せられたら、こうして上から眺めていても仕方ない。早速降りて相手をしてやろう。準備は整っているか?」
彼が振り返ると、既に三人の元帥がそこへ控え、力強く敬礼する。彼らがそれぞれの戦隊を率いるべく司令室を出ると……そこに設けられた銀の台に横たわる、巨剣の輝きが目に入った。
炎は、自らの背丈を超える刃の柄を片手で軽々と持ち上げ、宝石をあしらった薄布を手際よく巻き付けると、それを背負った。そして衛兵の敬礼を受けながら部屋を後にし、船尾へ向かう。
そこには竜舎があった。彼はその両開きの大きな扉を自ら開き、中の存在に呼び掛ける。
「フェリ、もうすぐ出番だ。この雪の中では、お前の姿が映えなくて残念だけどな」
竜は信頼する主の声に応えるように、キュルーンと小さく鳴いた。
産業の発展はまだ途上と思われていたフィジテール軍も、いつの間にか戦闘に耐え得る飛翔船を用意できるようになっていた。上空に残る帝国空軍の数隻に対し、彼らも小型ではあるが数十隻の船を繰り出し、砲撃を開始している。……そちらは技術兵団の副帥ミュラが確実に対処しているはずだと、サイラスは地上から鼓舞するように視線を送った。
ここへ降りた少数精鋭の技術兵団員は、全員が銃士だ。街外れの雪山の向こうからは、フィジテール軍の、馬に乗って槍を構える古典的体裁の兵士たちが集団で突進してくる。敵の指揮官が隊列を奮い立たせる声が、そこへ響く。
「見よ、奴らは剣すら構えていない。あの棒一本でこの騎馬隊を蹴散らすつもりか」
その侮蔑的な表情を見て、サイラスは独特の気取った微笑みを浮かべながら、前髪をかき上げ、その手をそのまま流れるように腰の武器へと移した。……部下たちが構える長銃と異なり、彼が取り出したのは短銃だ。それをくるくると華麗に回しながら、敵の隊長に向け、軽く引き金を引く。瞬時に弾丸が相手の眉間を貫き、その大柄な体を馬から落とした。
その一撃を合図に、銃士たちも一斉に長銃を構え、発砲した。フィジテール騎馬隊は、敵陣に到達する前に次々と倒れ、転がり落ちて雪山を赤く染めてゆく。技術兵団元帥は最初の一発を放った位置から全く動かずにいたが、誰ひとりとして敵が近いてこないので、少し物足りなさを感じたようだ。再び銃を軽く回してから、やや困ったように腰に手を当てた。
「参ったぞ。あっという間に決着がついてしまいそうだ。抜け駆けしてしまうと、退屈になってしまうな」
そう言いながら、彼は東に広がる山の向こうに目を向けた。そこからは、断続的に光の束が迸っている。
その光の発信源となっていたのは、魔術兵団だ。対するフィジテール軍も魔術師たちを繰り出している。しかしその動きの鈍さに、魔術将軍は少し苛立ちを覚えてきていた。
「術を唱えるのに、何故そんなに時間がかかりますの?」
かなり手加減して待っているというのに、時折ぽつぽつと、か細い光の玉が飛んで来る程度だ。メイリーンの調査によると、フィジテール軍は日頃からエクラヴワ勢力に対抗すべく着実に鍛錬を積んでいるはずだったが……それは誇張された表現だったのかと、彼女は少々落胆した。
敵陣から飛来する炎や氷の玉、閃光を、部下たちが地道に打ち返す様子を見て「これではまるで球技大会だわ」と元帥はため息交じりに呟く。そして痺れを切らし、傍にいた副帥のミミールに杖を向けた。
「これでは効率が悪すぎるわ。もはや楽しみを期待するのは諦めて、一気に決着をつけましょう」
指示を受けてミミールは頷き、小隊に号令を発する。そして再度前を振り向いた時……敵陣から、今までにない規模の光の束が迫ってくるのを見た。
「元帥……!」
「承知しているわ。少しは頑張ろうとしているようね」
メイリーンは杖を両手で正面に構える。鮮やかな紅色の唇の端を上げると、次に、そこから非常に長く複雑な言葉を、途切れることなく素早く正確に紡ぎ出す。
刹那……彼女を中心とした魔術兵団の一団が、巨大な光の半球に包まれた。敵の放った魔力の束は、まるでその糧となるかのように吸収されていく。やがて、きらめく光が雪に反射して美しく舞い散るように消えると……敵将の引き攣った表情を、メイリーンは満面の笑みで捉えた。
「……魔力を譲ってくださってありがとう。お陰様で……また、退屈してしまいそうですわ」
次の瞬間、隊列から一斉に放たれた衝撃波により…フィジテール魔法術隊は、雪山からその姿をほぼ消し去られた。
そして、正攻法で城門前に辿り着いたのが、騎士兵団だった。フィジテール歩兵軍の三分の一ほどの規模にすぎない彼らだが、その数をほとんど減らすことなく、避難済みの城下町を通り抜け、ここまで押してきていた。
フィジテール側も、彼らと同く剣での戦いを主とする歩兵が大半を占める。しかし、重厚な鎧に身を包み、大きな盾を構えながら、荒々しく剣を振るう彼らに対し……グランフェルテの騎士たちは城内警護用の軽装に要所を守る最小限の防具を追加しただけの姿で、まるで舞うかのように優雅に戦い、敵を次々と薙ぎ倒してゆく。
倒れた相手には敬意を表して逐一胸の前で十字を切り、次の相手へ向かう。……その凛とした姿が癪に障ったのか、フィジテール側の歩兵たちの怒気を一層煽っているようだ。
(……しかし、この程度か?)
元帥アルベールは隊列の最後尾から軍全体を見渡し、疑問を抱いた。……隣国の侵攻を撃退し、エクラヴワに武力行使をちらつかせる程の自信があるのだから、フィジテール軍はさぞや実力のある軍隊なのだと高く見積もっていた。だが、蓋を開けてみれば、彼の評価には遠く及ばない。
五人ほどの歩兵が、前後左右から雄叫びを上げて彼に斬り掛かってくる。アルベールは背の長剣を静かに抜き、その身の周りを清めるようにひと回しする。……甲冑のぶつかり合う音と共に倒れゆく敵兵たち一人一人に、彼は丁寧に黙祷を捧げた。
……おそらく、フィジテール軍が特別に弱い訳ではない。これが世界の標準なのだろう。ただグランフェルテ帝国は、その頂点に立つ者があのように常識外れな強さを持つがゆえに、それに恥じぬ基準を求めて日々鍛錬を重ねてきた。その結果、ここで圧倒的な優位を築いているに過ぎないのだ。
「この短時間で終わってしまうようでは、困るな……」
碧眼は街外れの雪原で待機しているはずの司令船の方をちらと見遣る。技術・魔術両兵団からも、すでに大方を片付けたとの報せが入っている。……このままでは、自分の出番がないと拗ねられてしまうに違いない。
「……まあ、仕方があるまい」
皇帝の真の役割は相手の首脳との交渉であって、戦場に立つことではない。ならば無駄に戦を引き伸ばす意味もないので、早々に降参に追い込むべきだろう。そう思ってアルベールが前方を見据えたところ、隙を狙っていたらしき敵の小隊長が剣を引っ込め、悲鳴を上げて後退っていった。……そこへ、副帥ルネが駆け寄って来る。
「閣下、フィジテール側から一時停戦要請が出たようであります。間もなく、敵軍も撤退するでしょう」
「……了解した。では、我が軍にもそれを伝えよ」
ルネが返事をして去ると、アルベールは小さなため息をつき、呆れながらフィジテール城を見上げた。……降参でなく一時停戦とは、気概だけは立派なものであると。
三元帥が司令船に戻ると、案の定……皇帝が不貞腐れたような表情で待ち構えていた。
「何だ、これ。期待は大違いじゃないか」
「仕方あるまい。どこと戦っても、このようなものだ」
アルベールは諭すように言ったが、ヴィクトールは納得した素振りを見せず、司令官の椅子に乱暴に腰を下ろしては、ますます口を尖らせた。
「せっかく、装備も整えたのに。フェリにだって気合いを入れてやったのに。これなら、先日エクラヴワの王子と遊んでやった時の方がましだった」
「だから、そんな愚痴を言っても始まらんだろうに……」
眉をひそめる騎士将軍の隣で、メイリーンは珍しくも失態を演じてしまったかのような表情で、懸命に次の策を練っている。そのさらに隣のサイラスは、ひとつ疑問を口にした。
「一時停戦などして、どうするのつもりなのでしょうな。時間は明日までで構わないといいますし……まだ、隠し持っている軍隊でもあるのですかな?」
「援軍でも頼んでいるんだろ」
ヴィクトールは片肘をつき、興味なさげに言い捨てたが……そこで何かを思いついたのか、再び少年のように悪戯っぽく笑みを浮かべる。
「……いよいよ、エクラヴワが来るんじゃないのか?仲良しだそうだしな」
アルベールとサイラスはそれを聞いて、再び気を引き締める。……この皇帝の直感は、高い確率で、的中するからだ。
「……では、その事態に備えて準備をしよう。各々、兵団に戻り入念に打ち合わせをしておくように」
三大兵団を統括する騎士元帥は、そうふたりの元帥たちに指示を出した。彼らが敬礼をして去ると、アルベールはヴィクトールの肩を叩く。
「まあ、長らく対抗勢力すら存在しないエクラヴワのことだ。お前の勘が当たったとしても、期待はするな。……それより女王を説き伏せる方が難しいのではないか?」
「まあ、それは頑固な婆さんらしいからな。首を斬り落とすのも、可哀想だしな」
アルベールが渋い顔をするのを愉快そうに見てから、ヴィクトールは立ち上がる。
「あまり前もって用意しすぎるとうまくいかない。相手の顔を見て考えるさ。それより……夜になると面白いものが見えると、魔術元帥が言っていたぞ」
また後でな、と言い残し、ヴィクトールは騎士より先に司令室を出ていった。……もう大変に長い付き合いになるのに、未だに掴み所のない面があると、アルベールは困惑の表情になったが……自らの配下との打ち合わせが急務であることを思い出し、皇帝の後を追うように退室した。