【I-023】寛大な王

 今回この地に引き連れてきたのは、自らの護衛を務める騎士将軍アルベール、そしてこの計画を立案した魔術将軍メイリーンの二元帥と、不測の事態に備えた最小限の兵力、それから飛翔船整備のための技師たちのみである。世界はおろかアロナーダ城下町の民にさえ気づかれてはならないため、ひっそりと隠れるようにして王城へ踏み入れたのだった。

 控室に案内されて一息つくことができたヴィクトールは、それまで被っていた頭巾をようやく脱ぎ、安堵の表情を浮かべながら、代わりに懐から扇を取り出した。

 「この布は姿を隠すのには好都合だが、さすがに暑いな。気候に慣れるまで時間がかかりそうだから、今回は戦じゃなくてちょうど良かった」

 「それにしても……」

 アルベールは部屋内を一通り眺めて、感心する。この灼熱の地域でも、城内では空気を循環させ温度を調整する機械により、快適に過ごせるよう工夫されているのだ。さらに扉の自動開閉と施錠機構、時間になると点灯する照明など……この城には斬新な技術が随所に採り入れられていた。

 「話には聞いていたが、やはりこの国の技術は驚異的だ。ポーレジオンの比ではない。ウィンバーグが来たがっていたが、気の毒なことをしたな」

 「同盟さえ上手く行けば、サイラスには幾らでも往復してもらうつもりさ。今回は国で、姉の護衛に専念してもらっている」

 そう申し出があった時、ヴィクトールの胸中にはルネの場合とは違う懸念が過ぎらなかったわけではない。しかし、サイラスは少し前までディアーヌの側近だったマリーの兄だ。ルネよりはディアーヌにとって話しやすいだろうと、その役目を託したのだった。

 「会談の内容ですが、予めカリムス国王には概略をご説明申し上げております」

 メイリーンがそう告げながら、ヴィクトールの座す長椅子に近づき、書類を差し出した。彼は表情を変えず、無機質に「ご苦労」と言ってそれを受け取り、ざっと目を通してゆく。

 「……陛下におかれましても、既に十分ご承知のことと存じます。あとは人間的に、どれほど距離を縮められるかが鍵になりますわ。カリムス王とどのようなお話をなさるおつもりで?」

 メイリーンは艶やかな唇を弧を描くように上げ、主君の顔を覗き込もうとしたが……ヴィクトールはそれを避けるように立ち上がり、部屋奥の窓際へと歩を進めた。……ひとりで思案したいのかもしれないが、傍観するアルベールには、彼の魔術将軍に対するこの素っ気無さが少し気にかかっている。

 当初は動揺を隠せなかったアルベールだが、実際にメイリーンと対話を重ねるうちに、その卓越した知性に驚愕し、自身の浅慮な人物評を恥じ入る結果となった。アロナーダとの同盟締結を目指すこの大胆な作戦を彼女単独で立案したと知った際も、思わず感嘆の声を漏らしてしまったほどだ。

 ヴィクトールもこうして彼女の策は受け入れているものの、事前にあれほど熱を入れていた割には、実際に配下に迎えてみれば随分と冷淡なのだな、と憂慮を抱かざるを得ない。……もっとも、ヴィクトールの気紛れは今に始まったことではないし、メイリーンが何か彼の機嫌を損ねるような言動をしたのかもしれない。しかし、三大兵団と皇帝との団結を図る上では、やや進め難いものだ騎士将軍は感じていた。

 その時、扉が叩かれる。相手国の兵士が現れて恭しく頭を下げ、国王の準備が整った事を告げた。ヴィクトールはこちらへ戻って来て自ら気を引き締めると、「行こう」とニ元帥にもそれを促す声掛けをした。

 応接室には、アロナーダの開放的な国柄を体現するかのような大きな窓が設えられていた。そこから眼下に見えるのは、砂と南国の木々に囲まれた堀。その中央には闘技場を思わせる円形の空間が広がっている。……ここで繰り広げられる剣闘士の舞を眺めながら、賓客との親睦を深める趣向らしい。

 しばしの間、この異国情緒溢れる光景に見入っていたヴィクトールだったが、扉が叩かれる音と共に立ち上がり、入口へと向き直った。脇に控えていた二元帥も、さりげなく彼の背後へと移動する。

 扉が開き、護衛たちを従えて現れたのは……堂々たる体躯を宝石で彩られた民族衣装に包み、豊かな黒髭を蓄えた褐色の顔に、穏やかな瞳を宿す、老いてなお血気盛んな男性……アロナーダ国王カリムスその人だった。彼はヴィクトールの真紅の姿を、やはり一旦は驚きの表情で見つめたが、すぐさま温和な微笑みを浮かべた。

 「初めてお目にかかります、カリムス国王陛下。グランフェルテ七世でございます」

 ……長らくエクラヴワ大王国の臣下として過ごしてきたため、マリプレーシュ侯爵に対して示していた態度とは百八十度異なる、このような丁重な物腰も、ヴィクトールにとっては慣れたものである。カリムスはよくぞ遠路はるばるお越しくださった、と彼を恐れることもない様子で、むしろ親愛の情を込めて握手を交わしてくれた。

 卓に着席し、二元帥が再び扉脇の警護位置に戻ると、カリムスは改めて紅蓮の貴公子の姿を熟視した。

 「驚きましたな。……いやどうか気を悪くなさらぬよう。そのお姿については既に耳に入っておりましたからな。それよりも……」

 突如として、はっはっはとカリムスの豪快な笑い声が部屋に響き渡った。

 「……よく似ておられる。まことに懐かしい。儂は皇太子の頃……貴君の祖母上、アドリーヌ殿と旅をしていた思い出がございますのじゃ」

 「左様でございますか」

 ヴィクトールは驚いた素振りをしたが、どちらかというとカリムスの言葉そのものよりも……事前に魔術元帥が語っていた情報の正確さに向けられていた。カリムスは天井を見上げ、腕を組んで追憶に浸る。

 「即位前に、どうしても世界を巡り、様々なものを見聞したくてのう。身分を隠して諸国を渡り歩き、多くの仲間と出会ったものじゃ。……その中のひとりが、アドリーヌ……いや、アドリーヌ殿下でございましてな」

 グランフェルテの貴族でありながら、卓越した舞姫であった彼女もまた、そのように世界を見て表現の幅を広げたいと願っていたのだという。……高嶺に咲く、棘のある野薔薇のように強気な女性だったが、その溢れ出る色香にすっかりと魅了されてしまった男衆は数知れなかった、とカリムスは語る。

 「儂もそのひとりで……身分を口実に彼女を射止めようと目論んでおったのじゃが、先にアルフォンスに取られてしまってのう……」

 どうやらそのグランフェルテ五世皇帝ともカリムスは親交があったらしく、「あやつは優しさを武器にしおったのじゃ」と残念そうに両手を組んだ。しかし、すぐ前のめりになってヴィクトールを覗き込む。

 「……まあ、ふたりとも早々に旅立ってしまったのが、寂しくてならなかった。しかし今回、こうしてそちらからお声をかけてくださったのが、この上なく嬉しくての。心より感謝申し上げますぞ」

 ……これまで世界から向けられてきた反応とは全く異なる、温かな父親のような眼差しを思いがけず受け取り……ヴィクトールは胸中に込み上げるものを感じてしまった。礼を述べる振りをして、彼は視線をカリムスの黒い瞳から逸らした。

 「……とんでもございません。このような貴重なお話を伺えるとは、私も存じ上げておりませんでしたので……」

 しかし……この予想外の親密さが、かえって懸念を呼び起こす。自らの行動の重みを、改めて実感せざるを得ないのだ。ヴィクトールは気を取り直し、誠意を込めて老王を見上げた。

 「陛下、ご承知のことと存じますが、私は今……エクラヴワ大王国に対し反逆の行動を取っております。このような立場でお願いを申し上げるのは、誠に恐縮ではございますが……」

 「おお、もちろん承知しておる。あの放送を耳にした時には、さすがに驚いたものじゃ。……だが、アドリーヌ殿のご令孫なら、やりかねんなとも思ったのじゃよ、はっはっは」

 カリムスは軽やかに笑ったが、すぐさま姿勢を正し、瞳に真摯な光を宿して真紅の若者と向き合った。

 「……世界には、貴君のあの宣言を待ち望んでいた者が無数におる。儂も、長きに渡って歯痒い思いをしておった。だが、この身、我が国を慮るあまり何も為し得なかった。その勇猛果敢な行動に敬意を表し、そしてアロナーダ王国としての覚悟を決めた証として、この度のお申し出を、喜んで受け入れましょうぞ」

 「誠に、ありがとうございます」ヴィクトールは立ち上がり、その深い皺を刻みつつも逞しい手をしっかりと取る。「必ずや、貴国をお護り申し上げます。そして世界の未だ届かぬ声を形にし、かの大王国の卑劣な支配を打ち砕いてみせます」

 その背後で、二元帥も最敬礼にてカリムス国王への感謝の意を表した。……わずか半刻の会談で同盟締結に至るという驚異的な展開に、部屋中が静かな興奮に包まれる。カリムスは正式な契約書を明日には早速発行すると約束し、次いで温かな提案を持ちかけてきた。

 「長旅と慣れぬ気候にお疲れであろう。このアロナーダ最先端の技術をご堪能いただきながら、今宵は是非とも我が城にてごゆるりとお休み下され。少々遅くなってしまうかもしれぬが、晩餐にて先程の昔話の続きにお付き合い頂けると、この老いぼれには何よりの喜びになりますのじゃが……いかがですかの?」

 「もちろん、光栄に存じます」

 ヴィクトールが即座に返事をすると、カリムスは満足げに目を細めた。

 「では、そのようにいたしましょう。申し訳ないが、次の予定が入ってしまっておる。失礼させていただこう」

 カリムスは優雅に一礼して去ると、扉が閉まった。間もなく帝国側も応接室を後にし、先ほどの控室へ戻る。そこへ落ち着くや否や、ヴィクトールは大きく息を吐き出した。

 「……驚くほどとんとん拍子で進んでしまった。何だか逆に恐ろしいな」

 それを受けてアルベールはふっと笑うと、彼の肩に手を置き、労わるようにこう言った。

 「王も語られていた通りだ。偶然などではない。……お前がこれまで成し遂げてきたことの結実だ」

 長年の苦楽を共にしてきた側近のその言葉に、ヴィクトールは微かに微笑んだ。緊張から解放されるように長椅子に腰を下ろしたが、そこで……ちらと、魔術元帥の顔を見た。

 「……まあ、そもそもはドゥメールの策がなければこんな展開にはならなかった。初陣で大きく手柄を上げたな」

 「まあ、もう少し素直に感謝を伝えられませんの?」メイリーンはぷいと横を向いたが、すぐに同じようにちらりと、主君の顔を窺う。「……途中で感極まりそうになっていらしたくせに。わたくし、ちゃんと会談が続行できるのかとはらはらしましたわ」

 「……」

 ヴィクトールは気後れた様子で前髪を少し弄りながら、彼女を見ないまま、もちろん感謝していると呟いた。

 「……あの、祖母の話が大きな架け橋になった。俺だって初めて聞いたのに、どこからそんな情報を?」

 問われると、メイリーンは「だって陛下のことですもの」と、魅惑的な微笑みを浮かべて誤魔化した。……ふたりの間に漂う微妙な空気感に、アルベールは全く気づいていない様子で、ようやくヴィクトールの気紛れが終わったかと安堵の表情を浮かべていた。

 会談の内容を整理し終えると、三人はそれぞれに与えられた部屋で休息を取った。夜の帳が下りるにつれ、日中の灼熱とは打って変わって、体の芯まで冷え込むような空気が部屋に吹き込んでくる。ヴィクトールがローブを纏って、窓辺から煌めく星々の河を眺めていると、アルベールが迎えに来た。

 「そろそろ晩餐の時間ではあるが、国王は急な来客対応で忙しいようだ。……お前のことだ、退屈だと落ち着かないだろう?」

 彼は話し相手として、少し早めに訪れてくれたようだ。アルベールは、ヴィクトールのような鋭敏な第六感こそ持ち合わせていないものの、幼少の頃から常にこの紅の君を見守ってきた。それゆえにその心の内が手に取るように分かるのだろう……彼自身が疎い、ある部分を除いては。

 「ドゥメールは食事には参加すると言っているが、何やら思案に耽っているようだ。次の作戦でも練っているのかもしれん」

 「どうだかな……」

 ヴィクトールはまた窓の方を向き、今度は星空から眼下に広がる、点々と輝く砂の海へ視線を移す。

 「城下町も見てみたいけど、さすがにこの姿で行くのは難しいな。グランフェルテの街でさえ、すぐに目立って騒がれるからな」

 アルベールはその背後まで歩み寄り、真紅の髪越しに同じ風景へ碧眼を投げかけた。

 「……同盟国の民の暮らしぶりの他にも、気になっていることがあるのだろう?」

 「……」

 ヴィクトールは少し寂しげに瞳を伏せる。

 「母方の話は、特に探そうとしていなくても次々に耳に入ってくる。それは喜ばしいことに違いないけど……」

 が、彼はすぐに自身を励ますかのように、首を横に振った。

 「……もし父親がその辺にいたら、俺に負けず劣らず目立っているはずだ。それこそ、その時が来れば探さなくたって情報は舞い込んでくるだろ」

 それに、何よりも……自分の強い魔力こそが、父が近くにいれば感応するに違いない。無益な妄想に浸っていても仕方がないと、彼は窓辺を離れた。

 「ここに閉じ篭っていても眠くなってしまうだけだ。少し早いけど、城内なら散策させてもらっても問題ないだろう」

 その提案にアルベールも同意し、ふたりは共に部屋を後にした。回廊の外側には満月の優美な姿を映し出す美しいオアシスが広がっているが、砂が吹き込まないように全面に硝子の窓が張られている。高度な技術と建築美との見事な調和に、彼らは見ていて飽きぬと言って感心しながらゆっくり歩みを進めていた。

 しかし、しばらく進むと、この落ち着きのある城にそぐわない、甲高い女性の声が聞こえてきた。そして、それに対応する国王カリムスの姿も目に入った。

 「じゃから、イメルダ。今日は叶わぬのじゃよ。大事な賓客をお迎えしておるからの」

 「アタシだって急いでるの!王サマ、いつもならイメルダのワガママはみーんな聞いてくれるじゃん!」

 周囲の兵が女を静止しようとするが、彼女は大柄の体躯を子供のようにばたつかせて抵抗する。それなりの身分のある者なのか、兵士たちもそれ以上は強く出られない様子で後退するが、カリムスも困惑した表情を浮かべながら、そのイメルダと呼ばれる女性に説得を試みるのみで、やはり追い返そうとはしなかった。

 ……あまりの光景に、ヴィクトールとアルベールが呆然と見守っていると、その女性が彼らに気付いたようだ。

 「……ああっ!!」

 彼女は目を見開き、躊躇なく紅蓮の貴公子を指差した。

 「いや……そうでしょ。絶対そうでしょ!!……でも、え?……意外と、ステキ……」

 次に隣のアルベールに目を向け、「ヤダ、こっちも王子様みたい、天国!」と叫び、ふたりに駆け寄ろうとした……が、今度は先ほどより必死の形相の兵士たちに加え、カリムスまでもが体を張ってその行動を阻止した。

 「ご、ご無礼を!!これイメルダ、やめんか!話なら後で聞く、とにかく今日は帰りなさい」

 カリムスが叱りつけながら、回廊の向こうへ押し戻そうとすると、イメルダとは何かに気づいたようにはっと顔を上げた。

 「そうだ、王サマ!アタシ先に王サマに話つけてもらわなきゃいけないんだよ!グランフェルテの皇帝よりも先に!」

 「……!」

 ……その言葉を聞き、ヴィクトールはこの一見気の触れた者のように見える女性が、実は非常に危険な要素を孕んでいることに気づく。彼は前に進み出ると、カリムスが謝罪するのを制し、尋ねた。

 「陛下、こちらの女性は?」

 「ああ……城下町市長のひとり娘でございますのじゃ。少々世間知らずな面があり、このようなご無礼を……」

 「なるほど。では、市長令嬢」

 ヴィクトールは屈んで、尻餅をついているイメルダの手を取って助け起こすと、少しばかり微笑んでみせる。

 「そのような発言をするからには、何か深い事情があるのだろう。例えば……誰かに命じられているとか」

 イメルダはその魔性を湛える紅蓮に見つめられ、頭が沸騰するような感覚に襲われ、舞い上がってしまう。

 「ハァ、そぉ、そうなのッ!あのッ、あのね、レオ……あっ」

 辛うじてそこで自らの失言に気づいたイメルダは、慌てて大きな唇を、空いた手で押さえた。その時、ヴィクトールは彼女と別の気配を察知する。

 「……お付きの者かな?随分と、貴女を心配されているようだ」

 ……大きな柱に隠れてこっそりと様子を窺っていた人物は、意図せずひいっと小さな悲鳴を上げてしまいながら身を引く。

 「令嬢、貴女の口から説明するのが難しいのであれば、あの者から聞こう。紹介してもらえるか?」

 ヴィクトールが立ち上がりながらそちらに顔を向けると、その人物は野生動物のような俊敏さで逃げ去ってしまった。

 「あっ、待ってよぉ、ジャン!」

 イメルダも慌ただしく立ち上がり、後を追って消えていった。カリムスは「これ、イメルダ」と叱責の言葉を投げかけたが、彼女が見えなくなるや否や、ヴィクトールの方へ向き直る。

 「いやはや、グランフェルテ殿、誠に申し訳ございませぬ。イメルダは本来は素直なよい娘なのですが、まさかこのような……」

 ……子のないカリムス国王は、市長の娘を孫のように慈しんでいるのだろう。いくら開放的な国民性とはいえ、この時勢では彼の人柄の良さが少々危険にさえ感じられたが……それを憂慮するのは後回しだ。

 「……お気になさらず、カリムス陛下。それよりも……こちらはさらなるご無礼をお掛けすることになるかもしれません。先ほどの応接間脇の、闘技場をお借りできれば幸いなのですが」

 一連の流れを見守っていたアルベールが彼に近寄り、不審そうに眉を寄せた。

 「……闘技場?何のために?」

 ヴィクトールは彼に直接答えず、同様の表情でこちらを見つめるカリムス王に向けて続ける。

 「私の熱心な信奉者がいて、極秘裏に行動していたつもりでも、どういうわけか付いてきてしまうようなのです。少し相手をしないと、納得して帰らないでしょうから」

 するとカリムスは、なるほど大変じゃのう、流石はあのアドリーヌの孫じゃと言って、快くその申し出を受け入れてくれた。

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