【I-020】三大兵団

 会議とはいっても、集まるのは自分と二人の配下だけだ。時間より少し早いが、ヴィクトールが約束の場所である自分の執務室に入ると、既にアルベールが応接机に座って書類に目を通していた。

 「何だ、遅刻してくると思っていた。珍しく早いな」

 そう言われるとヴィクトールは不機嫌そうな顔をし、持っていた書類を机に軽く叩きつけるように置いた。

 「それが主君に対する物言いかよ。お前が早すぎるんだ」

 ……とはいえ、このようなやり取りは二人にとって慣れたことだった。先に述べたように、アルベールはヴィクトールが幼い頃にこの城に来て以来ずっと、彼の世話をしてきた。そのため、ヴィクトールにとってアルベールは兄同然の存在なのだ。

 「まあ、そうなると……」アルベールはふと書類から目を上げ、碧眼を天井の隅へ向けた。「ウィンバーグが気を使ってしまうかもしれないな。ヴィクトールが遅れて来る計算だったからな」

 「……サイラスの奴が、気なんか使うのか?」

 ヴィクトールは向かい側の革張りソファに腰を下ろし、先ほど裏邸の木の椅子でしたように、もう一度伸びをした。そして、少し気が重そうに溜息をつく。……ウィンバーグという名の通り、これから現れるもう一人の人物は、彼のもとを去った女性騎士マリーの兄である。

 そんな話をしていたところに、部屋の外から女性たちの甲高い声が聞こえてきた。

 「……噂をすれば影だな。今日は時間より早く始められそうだ」

 扉が三回ノックされ、開かれると女性たちを宥めるような男性の声とともに、まずは部屋の前を警護する騎士が入ってきて膝をついた。

 「ウィンバーグ技術兵団元帥閣下がお見えです」

 ヴィクトールが承諾の合図を送ると、騎士と入れ替わりに現れたのは、淡い銀と金の中間のような……妹と同じ色の髪を、短いながらも軽く巻いて洒落た雰囲気を醸し出す背の高い美男子である。

 「これはこれは失礼致しました。私が一番遅れてしまったようですな。陛下はいつもゆっくりいらっしゃるので、油断しておりました」

 話しながら見せる軽薄な笑みと気取った身振りにも、もう慣れてしまっているので、ヴィクトールは「そうかそうか」と呆れたように言って流すだけだった。しかしアルベールは立ち上がり、神妙な表情を浮かべた。

 「ウィンバーグ、今回の件は……私の力不足だった。もう少し強く引き留めておくべきだったのだが……」

 「ああ、いや」ウィンバーグ……名をサイラスという男は急いでこちらに歩み寄ると、首を横に振り、敬礼して謝罪しようとする騎士将軍を制した。「ローランの当主にそのようにされては、平民出身の私には逆に立つ瀬がない。どうか気に留めないでいただきたまえ」

 なに、ちょっとした家出ですぐに戻るでしょう……とサイラスはヴィクトールの方は見ずに軽く笑い飛ばした。ヴィクトールはひとり気まずい感覚を覚えて口を尖らせていたが、意識を逸らそうと書類を手に取り、既に目を通していたにもかかわらず、もう一度読むふりをした。

 騎士兵団、技術兵団、魔術兵団は、二百年前のグランフェルテ帝国誕生と同時に、建国者バルタザールによって創設された三大兵団である。

 エクラヴワの支配下に入った後も、形式上は兵団の存続が許可された。これは、騎士兵団が近衛として城や要人の警護を、技術兵団がその名の通り城や街への工学技術の提供を、魔術兵団が医療や生活を支える魔術の活用を担うなど、兵士としての役割以外の側面も持ち合わせていたためだ。

 長年の敵国支配により、三大兵団はすっかり戦闘能力を失っていた。しかしヴィクトールは、五年前に革命を起こす以前から、アルベールやサイラス、そして魔術兵団の長老フォンらと連携し、密かに兵団を鍛え上げ、来たるべきこの時に備えていたのである。

 現在の騎士兵団元帥は、この金髪碧眼のアルベール・クリストフ・ローランである。ローラン家は代々グランフェルテ皇家に仕え、当主は騎士兵団元帥を兼ねて、皇帝の護衛を務めてきた。アルベールの父フェルディナンも例外ではなく、ヴィクトールの母イザベルの護衛を務め、彼女を護って命を落とした。

 フェルディナンは豪快な性格で女性関係も華やかだったといい、グランフェルテ城の近くにある広大な邸には、妻オーレリアの死後、多くの女性が住んでいたという。一方、アルベールは父とは正反対の性質を持ち、年子の姉ソフィーとわずかな使用人だけで静かに暮らしている。

 一方、技術兵団元帥サイラス・ウィンバーグは、自身が語るように平民出身である。表向きは軽薄な男を装い、その魅力的な容姿を利用して周囲に女性たちを侍らせる日々を送っているが、実際は非常に頭脳明晰かつ努力家である。彼もまた早くに両親を亡くし、妹を守るために難解な工学と扱いの極めて難しい銃の技術を極め、二年前の二十五歳の時にこの地位に上り詰めた。……しかし、気の強い妹が兄を支えると言って騎士大将にまで成り上がったのは、彼にとって全く想定外だったようだ。

 そして魔術兵団には、フォン・セザール・ル・ベーグという老齢の魔術師がおり、彼は六十年近くも元帥の地位にあった非常に優秀な人物である。彼は多くの帝国魔術師たちを指導し、手本となってきただけでなく、生まれながらに強い魔力を持つヴィクトールにその制御や巧みな操作法を教え、祖父のように身の回りの世話も担ってきた。しかし、九十歳という高齢のため、エクラヴワへの反旗を翻す戦いにおいては自ら辞退を申し出、元帥の地位からも引退を表明していた。そして天賦の才と高度な努力を要する魔術師という性質上、その後継者を見つけることができずに今日に至っていたのである。

 「さて、魔術兵団の新元帥が決まったというので楽しみにしているが、その前に次の目標について確認しておこうか」

 ヴィクトールは目の前のふたりの会話が終わりかけるのを見計らい、話題を強引に変えるように、書類を置いて隣の地図を卓の中央に広げた。

 「ご安心ください。私もきちんと予習してまいりましたので」サイラスは膝の上に左腕を置き、右手である地点を指し示す。「ここより北東、『誇りある不死鳥』の大陸にある、ガーディアンでございましたな」

 アルベールも身を乗り出して地図を眺め、顎に手を当てる。

 「国軍の守りがかなり堅固だというが……軍事費に注ぎ込む余り、一般市民の数は飢餓で減少の一途を辿っているという話だったな」

 「エクラヴワに支配され守られていながら、何ゆえそこまで防衛に力を入れる必要があるのでしょうな?ガーディアン国王もいずれ反旗を翻すつもりでいたのかもしれませんぞ、陛下?」

 サイラスが軽く笑いながらそう自分に振ってくるので、先ほどの話ので責められる気配はなさそうだと少し安堵しつつ、ヴィクトールは地図から顔を上げてふたりの配下の顔を見た。

 「そうだな、だからこそ次の標的に持って来いという訳だ。マリプレーシュからポーレジオンと続いたから、愚かなエクラヴワは同じ大陸の領地コネサンス辺りを狙ってくると思っているだろう。その慌てぶりが見物だが……まあ、今のところ動く気がないようだから、叶わぬ期待かもしれないけどな」

 「では、魔術兵団新元帥には後ほど私から話しておこう。三元帥が揃ってから改めて細部を詰めていくこととしよう」

 アルベールは手元の書類を入れ替え、次にその魔術兵団の新元帥について記された紙を上に持ってきた。サイラスもヴィクトールも興味があるので、それを覗き込むようにする。

 「……新たに我々の仲間となる人物だが、四年前にトランフォレ魔法研究所を、わずか十五歳にして首席で卒業。以後フォンのもとで地道に研鑽を積んできたそうだ」

 「へえ、魔研を十五歳で?」ヴィクトールは少し驚いて、思わずアルベールの碧眼を覗き込んだ。「あそこは、入所も難しいが出るのはもっと大変なんだろ?何十年も居続ける者も少なくないと聞いたが……」

 サイラスもほうほうと頷きながら、感心したように腕を組む。

 「私は魔術の方には全く詳しくございませんが、そのような大変優秀な人材がいつの間にかフォンのもとに来ていたのですな。しかも……」

 彼はアルベールの持っている書類に銀色の瞳を近づけて、ある一部に指を添えた。

 「……これはおそらく女性の名前ですな。並外れた才能を持つ、十九歳のうら若き女性魔術師の存在を、フォン老師はひた隠しにしていたというわけか……」

 「あの助平爺め」ヴィクトールも負けじと、アルベールの持つ書類を自分の方に引き寄せた。「……本当だな。アル、このドゥメールという魔術師、美人なのか?」

 アルベールはふたりの反応にほとほと呆れ返って、大きく溜息をつき、その書類を机にばさりと投げ置いた。

 「知るか、そんなことは。俺も会ったわけではない。この後玉座の間に挨拶に来るそうだから、実際に確かめてみればいいではないか」

 ……彼の苛立ちなど眼中にないかのように、今度はヴィクトールとサイラスが、そのまだ見ぬ女性魔術師について熱心に語り合い始めた。

 「いや、どうだろうな。魔研は六年制だから子供の頃に入所したということだし、そのまま一切表にも出ずに魔術兵団内で過ごしていたなら、身なりに気を使うことにはあまり関心がないのかも……」

 「それは美醜とはさほど関係がありませぬぞ。素質さえあれば、いかなる女性も輝きを放ちますからな」

 「よし、ならどんどん活躍させて光り輝かせてやろう。俺の直感では、清純な、白いローブの似合う聖女みたいな女だと思うな」

 調子づいてきたヴィクトールに、サイラスは白い歯をのぞかせて微笑みながらも、一瞬の沈黙を挟んだ。

 「……陛下、次はこの魔術将軍に行かれるおつもりですか?」

 「あ……」

 凍りついたヴィクトールを救ったのは、その会話に辟易としていた騎士将軍だった。普段の冷静沈着さを失い、机を叩きながら立ち上がる。

 「もう彼女の到着時刻だ。早く済ませて作戦の続きを立てねばならん。鼻の下を伸ばしている間に敵に不意打ちを食らうぞ」

 ……早めに集まったはずが、書斎を出る頃には予定時刻を過ぎていた。サイラスはアルベールから書類一式を預かると、扉の前でヴィクトールに対して気取った敬礼をして、それを機密文書保管室に収めるため、一旦その場を後にした。

 「さあ、急ごう。遅刻したら新元帥に失礼だ」

 ヴィクトールは意気揚々とした様子で、真紅の絨毯が敷き詰められた玉座の間へと続く城の中央通路を足早に進む。騎士将軍から皇帝の護衛役へと移行したアルベールは、慌ただしく彼の後を追う。

 「おい、速すぎるぞ……」

 「何を息切らしているんだ、アル。俺と四つしか歳が変わらないんだから、もっと軽やかに歩けよ」

 グランフェルテ特有の爽涼な風の通り抜ける回廊を抜け、整然と並ぶ騎士たちの脇を通り、玉座の間への十段の階段を上る。ヴィクトールはこの広間の玉座に長居することを好まないため、ここを通るのは月に一度あるかないかだ。

 重厚な白亜の扉が開かれると、中には既に三大兵団の将軍たちが整列し、最敬礼で出迎える。ヴィクトールがその奥の段をさらに上り玉座に着くと、アルベールは列に並ぶルネから敬礼を受けた後、皇帝の脇に控える。やや遅れてサイラスが入室し、技術兵団の列の最前に立つ。

 「……この絨毯も祖父グランフェルテ五世の時代から使い続けてきた。随分と踏み締められてしまったから、そろそろ新調してもいい頃合いかもな」

 ヴィクトールが緊張感漂う場を和らげようとそんな言葉を漏らしていると、扉が再び開かれ、そこにフォンと、木の杖を携えたひとりの黒髪の女性が姿を現した。最敬礼で見えなかったその顔を上げて彼女が近づいてくると、ヴィクトールは思わず、その姿に見惚れてしまう。

 玉座の前に到達すると、フォンが後方へ下がり、彼女は再び深々と礼をし.……そして、漆黒の瞳を上げた。

 「初めてお目にかかります、皇帝陛下。新たに魔術兵団元帥に就任いたしました、メイリーン・ラン・ドゥメールと申します」

 真っ赤な紅を掃いた唇の両端が優美に持ち上がる。……東洋の血を感じさせる顔立ちは、情感溢れる薔薇のごとき佇まい。艶やかな長い黒髪を編み上げ後頭部に巻き付けているが、そこからこぼれ落ちて首筋に触れる様は何とも魅惑的だ。紅白の衣装の襟元は大胆に開かれ、白く豊かな胸元を惜しげもなく露わにし、さらには太腿まで達する切れ込みから覗く長い脚線美に、否応なく視線が引き寄せられる。

 「……承知した。これより厳しい戦に共に身を投じてもらうこととなる。よろしく頼む」

 ……傍らに控えるアルベールが朱に染まった顔を背けたのを機に、ヴィクトールも我に返り、ようやく言葉を紡ぎ出す。

 「は」と彼女は応じ、三度目の最敬礼をしてから優雅に身を起こして、また皇帝の紅蓮の眼差しを恐れる様子もなく真っ直ぐに見返しながら微笑んだ。踵を返す彼女を先導しようとするフォンにのみ、ヴィクトールは扉の外に残るように命じた。

 新元帥の姿が扉の向こうに消えると、しばし呆然としてしまっていた皇帝は我に返ったように立ち上がり、慌ててそれに倣う騎士将軍を従え、玉座を降りる。……左列の最前ではサイラスが意味ありげな笑みを浮かべながら敬礼をしている。それに構わず、ヴィクトールは来た時と同じ速さで玉座の間を後にすると、控えていたフォンのもとへ駆け寄った。

 「じい、どういうことだ、聞いてない。あんなのがいるなんて」

 「いやいや若様、勿論でございます、隠しておりましたゆえ……」

 老爺は困惑した様子で皺だらけの掌を顔の前で左右に振った。……フォンの説明によると、それは彼女自身の意向だという。

 「この日が来るまでは、どうしても自身の存在を公にしないでほしいと……事情を尋ねても語らぬものの、あまりにも切実にそう願うので、儂もその要望を受け入れておったのです。ただし、書面にて報告した内容は紛れもない真実でございますし、家柄においても上流貴族ドゥメール侯の養女とのこと、問題はございませぬ」

 「ふうん……」

 その割にはあの際どい衣装など、気がかりな点もあるが……フォンがここまで言うのなら、心に引っかかる靄めいたものは直接本人に確認した方が早かろう。まだ半信半疑の表情でヴィクトールは老爺を見つめていたが、気持ちを切り替え、再び書斎へ向かおうと絨毯の上を歩き出した。

 「……まあ、あの女の実力が本物なら、これまでの国々に比べて難攻略と思われるガーディアンも見通しが立つかもな」

 「……」

 すぐ後ろにいるはずのアルベールから返事がないので、ヴィクトールは足を止めて振り返った。……騎士将軍は依然として顔を真っ赤にして俯きながら歩いていたが、ヴィクトールとぶつかりそうになり、慌てて「何だ」と顔を上げる。

 「……アル。お前、これからちゃんと職務を全うできるんだろうな?」

 「あ、ああ、当然だ。俺は何も心を乱されてなどいない」

 ……別にあのドゥメールという女に一目惚れしたというわけではなさそうだが、女性恐怖症の傾向があるアルベールのその様子を見ていると、彼を心から信頼しているヴィクトールもさすがに不安を覚えてしまう。とりあえず彼を少し休ませようと、ヴィクトールはアルベールに今日の護衛の任務を中断するよう申し渡した。

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